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日本酒歴史物語(其の壱) ~日本酒伝道(R)養成講座7~

日本酒歴史物語(其の壱) ~日本酒伝道(R)養成講座7~

『日本橋 鎌倉町 豊島屋酒店 白酒を商う図』の一部 (外部サイト)
松濤軒斎藤長秋 著 江戸名所図会 より

今夜の話は、日本酒の歴史。
前回、日本酒伝道師(R)養成講座 ~日本酒の歴史を深く知る~ でも、日本酒のルーツや、神と酒との関係について伺いました。…が、それは長い日本酒の歴史のほんの一部。まだまだ興味深い逸話がた~くさん眠っています。

今回から数回にわたって、日本人の生活に寄り添ってきた日本酒の歴史についてのお話しになります。第1回目は、古代~奈良時代まで。この時代は、『神の酒から人の酒へ』と移り変わる時代です。

七限目:日本酒歴史物語

「なぜ、日本酒の歴史を学ぶのか?」
七限目の冒頭このような問いかけがあり、これに対するAnswerではありませんが、故・坂口謹一郎博士の著書(*1)の序文が紹介されました。

日本お酒は、日本人が大昔から育て上げてきた一大芸術的創作であり、またこれを作る技術の方から見れば、古い社会における最大の化学工場のひとつであるといえる。
したがって古い時代の日本の科学も技術も、全部この中に打ち込まれているわけであるから、日本人の科学する能力やその限界も、またその特徴もすべて、この古い伝統ある技術をつぶさに調べることによってうかがい知ることができるであろう。
・・・(後略)・・・

著者は、発酵、醸造に関する研究で世界的に有名な方で、「酒の博士」と呼ばれていました。酒造りを熟知した博士が、伝統ある酒造り技術を調べることで、古の科学・技術が知ることができると、仰っています。これは、教科書にはない歴史文化を知るには、実に興味深い話です。
酒とともに、日本の文化も広める「日本酒伝道師」としては、しっかり学ばねば!!


*1 引用元:日本の酒 坂口謹一郎 著 (外部サイト)
 岩波文庫  初版 1964年6月27日

古代:酒造りの痕跡をたどる

日本における飲酒に関する最古の記録『魏志倭人伝』には、喪に服す際に、喪主以外のものが酒を飲み歌い踊るといった慣習が綴られています。しかし、そこには造りに関する記述までは見当たらないようです。

奈良時代まで進むと、『古事記』『日本書紀』に酒に関する記述が散見されます。これらには、幾人かの酒の神が登場し、神話を繰り広げています。

● 酒解神(サケトケノカミ) ・ 酒解子神(サケトケコノカミ)
酒解神は、大山祗神(オオヤマツミノカミ)の別名。
酒解子神は、名の通り酒解神の子供。木花之咲開耶姫(コノハナサクヤヒメ)の別名。
大山祗神が、木花咲耶姫の出産を喜び、狭名田の茂穂で天甜酒(あめのたむざけ)を造り、天地の神々に捧供した。という神話があります。これにより、大山祗神を酒造の祖神と呼ぶようになりました。
日本最古の酒造の神 京都・梅宮大社などが、この神を祀っています。

● 大山咋神(オオヤマクイノカミ)
またの名を、山王権現(サンノウゴンゲン)。
もともと比叡山の山の神で、八百万の神が松尾山に集まった際、泉に湧く水で酒を仕込み振る舞ったという神話があるのだとか。
そしてこの神を祀っているのが、酒造神 京都・松尾大社などです。

その他にも、出雲・佐香(サカ)神社に祀られている、酒造之太祖 久斯之神(クスノカミ)。奈良・大神(オオミワ)神社に祀られている、大物主大神(オオモノヌシノオオカミ)など、それぞれの地で酒造りの神として信仰を集めています。

このように酒に関する神様が何人もいることから、奈良時代以前には酒造りは日本人の中に定着していることがわかります。また、上記の神社だけでなく、これらの神様は日本各地に勧請されていたり、神社そのものが分社されていたりします。
この機会に、皆さんのお近くの神社を改めて確認してみてください。意外とお近くに、酒の神様が祀られているかもしれませんよ。

奈良時代:酒豪・酒仙現る

奈良時代になり、貴族・豪族たちの間で飲酒の習慣が定着しています。それらの様子は、万葉集などの歌集の中に見受けられるようになります。
その中から酒好きで有名な歌人の歌をいくつか取り上げてみましょう。

●山上憶良(やまのうえのおくら)
奈良前期の官人・歌人。万葉集におさめられた『貧窮問答歌(ひんきゅうもんどうか)』という長歌に、酒に関する綴りがあります。

風雜 雨布流欲乃 雨雜 雪布流欲波 為部母奈久
寒之安礼婆 堅塩乎 取都豆之呂比 糟湯酒 宇知須々呂比互 …

風まじり雨、雨まじりの雪の降る夜は、(家がボロくて)寒くてたまらない。堅塩(かたしほ)をとりつつ、糟湯酒でもすすり… と、綴っています。
糟湯酒とは、酒粕を湯に溶いたもの。具も味もない、粕汁のようなモノでしょうか。貧困にあって、酒を飲むというよりも、空腹を満たしていたのでしょうか。


●大伴旅人(おおとものたびと)

山上憶良と同時代の公卿・歌人。名門・大伴家の当主で、百人一首でも有名な大伴家持の父です。
旅人は、『酒を讃むるの歌十三首』と呼ばれる短歌を詠んでおり、酒を愛した人物として知られています。その中から、一首…

中々に人とあらずは酒壷(さかつぼ)に成りてしかも酒に染みなむ

中途半端に人間でいるよりは坂壺になって酒に染みていたいものだ。といった意味だそうです。
藤原氏と長屋王の権力争いに巻き込まれて大宰府へと左遷された旅人。京から遠く離れた場所で、あさましい人間達の有り方に、愚痴りながら酒を煽っていたのかもしれませんね。

これらの歌から、酒はかなり一般的に出回っていたことがわかります。それも、貧乏な下級官人でも酒粕なら簡単に手に入る程、身近なものになっていたのでしょう。
また、酒粕があるということは、既にお酒を搾っていたということですね。現代と同じように濾した澄み酒は、奈良時代にはあったのですね。

七限目の最後に…

さて、前出のタイトルに用いた 酒豪・酒仙。どちらも大酒飲みを表す言葉ですが、その意味するところは異なります。
 酒豪:非常に酒の強い人
 酒仙:世間の雑事にとらわれず,心から酒を好み楽しむ人
辞書(*2)には、このように定義されています。

神に捧げる酒が、人が飲む酒へと変わっていったことで、大伴旅人のような ”酒仙” が生まれた。これ以後、酒を愛した人が、現代まで脈々と続いていくわけですね。

冒頭に触れた坂口謹一郎博士も、酒仙の一人ではないでしょうか。
博士の著書『歌集 醗酵』からも酒愛が染み出ています。以下は、そこからの抜粋です。

 「うまさけは うましともなく飲むうちに 酔いての後も口のさやけき」

醸造を研究する坂口先生、ご自身が如何にお酒が好きだったのか伺えますね。現代の日本酒の進化をご覧になったら、”うまさけが増えた” と喜んでくださるかもしれませんね。

*2 参照元:三省堂 大辞林


※ 注 ※
この記事は筆者が受講して、特に印象深かった点を中心に記述しています。実際の講座では、本記事にない色々なお話がなされています。また、ところどころ感想もまじえておりますので、ご了承ください。