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日本酒歴史物語(其の五)~日本酒伝道(R)養成講座15~

日本酒歴史物語(其の五)~日本酒伝道(R)養成講座15~

今夜の話は、日本酒歴史物語(其の五)。
奈良時代以前の古代から、順々に追っかけてきた日本酒にまつわる歴史物語。いよいよ今回が最終回です。

身近なようで遠いのが昭和の歴史。戦中から戦後の暗い時代、日本中ががむしゃらに頑張った高度経済成長期を経てのバブル期、そして平和の時代へ… 日本と世界の距離が一気に縮まった時代です。
日本酒にとっても、戦争の影響、市場のグローバル化と、時代背景が大きく影響した時代です。

講師は、お馴染み 日本酒伝道師養成講座・塾長 杉原英二先生。近代の日本酒には、どんな歴史があるのか、聞いてみましょう。

なお、これまでのお話は、こちらで…

日本酒歴史物語(其の五):昭和~平成時代

日本酒について、 アルコール臭くて飲みにくい ・ 二日酔いするから避けたい ・ べたべた甘くて美味しくない そんな悪印象を耳にされたことはないですか? 日本酒好きの方でも、かつてはそんなイメージを持っていた方も少なくないでしょう。
その悪印象の原因は昭和時代にあります。

昭和前半は、もっとも日本酒が苦しんだ時代と云えるかもしれません。戦争・三増酒・酒離れ そんな不のキーワード三拍子。
しかし平成の現代、国内での日本酒ファンが増えてきたのに加え、海外でも高い評判を得ています。そんな、急降下からのV字回復が、この時代の日本酒物語には隠されています。
 

戦争が日本酒を駄目にした!

大正から昭和にかけて、日本には暗雲が覆いかぶさっていたいました、”戦争”です。

明治4年、明治維新を遂げた日本政府は、誰でもが要件を満たせば酒造免許を取得でき、醸造所では造りたいだけ酒を造ることができるように制度を変えました。その後明治8年、酒造制度の下での酒類税則が制定されました。そして明治13年、酒造場ごとに醸造量に応じて課税する 造石税(*1) を施行します。

酒を造った分税金を納めるということは、酒をたくさん造る=税金が増える ということ。国としては、酒を増やして懐を温めたいという構図が出来てしまったのです。
運用当初の造石税は、1石2円。それが、明治15年には4円に、29年には7円と大幅増税をつづけてゆきます。更に明治32年には、地租を抜き国の税収のトップにまで酒税収が膨んでいたのです(この時は1石12円)。
明治37年の日露戦争時、国税の総額は1億4500万円、そのうち酒税がしめる額は4900万円。日露戦争は、酒税で戦ったともいわれるほどでした。

国税に占める酒税の割合

日露戦争の勝利で勢いづいた日本政府はさらなる暴挙に及び、支配範囲を大陸へと広げ、国内では軍需産業の拡大、軍人の増員を図ってゆきます。そのため農業に従事する者は減り、自然と米の生産量が頭打ちとなっり米不足につながってゆきました。
米不足であったのに、日本酒の生産量を減らす策に出ないのがこの時代。酒は、税収のためだけでなく、軍人の意気高揚のためにも欠かせないものとなっていました。そこで、米の供給元であった、朝鮮、満州での日本酒生産にまで乗り出したのです。

しかし、その対策も焼け石に水。まるでタガが外れたかのような軍部は世界大戦へ挑み、国内の米不足はより深刻に。戦時下の国策として、酒蔵も軍需工場に転化・廃業してゆきました。これにより、伏見では酒蔵が半減したほどです。その後、昭和12年に酒造制限が発せられ、昭和18年にはとうとう酒も配給制となったのです。

そんな情勢下、日本酒の黒歴史ともいわれる三増酒が生まれます。
 

*1 造石税
参考 国税庁「明治前期の酒税」について (外部サイト)

戦後も続く三増酒の驕り

三倍増醸清酒、通称・三増酒(さんぞうしゅ)は、昭和初期に満州国の醸造所にて開発されました。

そもそも、三倍増醸酒とは何か?
それは、清酒に、三倍以上のアルコールを添加して作った酒のことです。その際、薄まってしまった酒本来の味を整えるため、ぶどう糖、水飴、有機酸やアミノ酸塩(グルタミン酸ナトリウム)などを添加して造っています。三増酒の製法は、昭和16年には満州国内に広まり、戦時下で米不足が続く日本国内にも伝わりました。

当時の日本国政府はその流れを推奨します。
三増酒が造られる前の大正期、米を使わない清酒風アルコール飲料である “合成清酒” というものがつくられていました。この合成清酒や、三増酒は、安価で大量な酒が造りだせるため、酒造用の米が手に入りにくくなっていた日本ではまさに渡りに船、国は三増酒を指導、奨励したのです。

そして、これを後押ししたのが昭和15年に施行された酒造法。その第一章に、以下のような文があります。

第四条 本法において清酒とは左に掲げるものをいう
1.水、米麹および水を原料として発酵せしめ、これを濾過したもの
2.水、水及び命令を以て定る物品にして、その重量が米(麹米を含む)の重量を超えざるものを原料として発酵せしめ、これを超過したるもの
 清酒を清酒粕にて粕漉したるものは之を清酒と看做す

 
つまり、「米と米麹の重量を超えない範囲で、原材料に米由来でないものを付加しても日本酒と認める」ということです。驚くほどの緩さ… これは、千年守ってきた日本酒文化を大きく逸脱する行為ではないでしょうか。

酒類販売量の推移概況 (昭和45年~平成17年)
 国税庁 平成20年度 酒のしおり より (外部サイト)

この残念な清酒の製造は戦後になっても続きます。
昭和中頃、高度経済成長の真っただ中にある日本では、三増酒が跋扈します。敗戦から立ち上がるために、日本全体が一丸となって働いた時代、”酒は造れば売れる” そんな勢いを得て、清酒の醸造高も昭和48年には975万石とピークを迎えます。安く大量に造れる三増酒は、格好の儲け策だったのでしょう。

一方、この製作方法が日本酒の品質の低下を招きます。
一部の造り手からは、この酒造りに異を唱える声が上がりました。しかし、醸造試験所、鑑定室、多くのメーカーは、「アル添と三増で酒質はいちじるしく向上した」「アル添は昔からあった」「これだけ大量の酒が消費されているのが何よりの証拠」「酒造技術の流れの中で特記すべき事項」などの理由をつけて、三増酒を正当化したのです。

ところが、昭和後半からは一転、日本酒の消費量は減少の一途をたどるのです。
今でも、三増酒は深刻な酒離れの誘因になったと、非難する声が多くあります。
 

日本酒の復権:個性豊かな酒が百花繚乱

昭和後半の居酒屋では、お酒といえばビール、酎ハイ、時々水割り。そんな注文が主流になりました。さらに空前のワインブームが起こり、洋酒指向の酒好きも増えてゆきました。そんな中で、「美味しくない」と思われていた日本酒離れは顕著なものでした。

しかし、日本酒業界だってこの事態を手をこまねいて見ていたわけではありません。
昭和後半から現在にかけて、日本酒の品質が向上する切っ掛けとなる出来事がおこりました。

・昭和30~42年頃 辛口酒と純米酒への回帰
べたべたと甘口に傾倒していた日本酒から反転し、キリリと辛口・本来の日本酒の味わいを求める動きになってきました。もう少し後の年ですが「最近の酒は甘いとお嘆きの貴兄に…」という某日本酒メーカーのCMも印象深いです。

・昭和42, 43年頃 地酒ブーム到来
ディスカバー・ジャパンという(当時の)国鉄が始めたキャンペーンにより、日本各地を旅してそれぞれの郷土ならでわの味わいが取り上げられるようになりました。その流れで、「越乃寒梅」などの地酒が全国に知れ渡り、地酒が注目を浴びました。

・昭和58~60年頃 吟醸酒時代の幕開け
バブル期が到来し景気が一気によくなると、高くても美味しい吟醸酒の売れ行きがよくなっていきました。この頃の情勢は、その14:現代の日本酒造りの潮流と、これからの展望 にも詳しく説明しています。

・平成4年 級別の廃止、山廃/生もとの注目
それまで、国税局の酒類審議会による官能審査で認定されてた、特級・一級・二級という級別制度が廃止されました。それに代わり、原料米名、産地名など製法品質表示基準が定められたことで、消費者が自分で商品を見極めて選択できるようになりました。
またその頃、本来の酒造り 「山廃/生酛(きもと)造り」 が見直されるようになってきました。

こうした変化が次々と起こった結果、日本酒全体の消費は低迷する中、特定名称酒の消費量は徐々に増え始めました。
造り手側は、それぞれ個性を持ったよい酒を供給する時代に、消費者側は、自分なりにそれを見極めて飲む時代になったのです。ただ酔うために飲む飲酒から、味わい・楽しむ酒に、日本酒にもそんな時代がようやっとやってきたのですね。
 

自らの五感で日本酒のこれからを見極めよう

五回に渡り聞いてきました日本酒の歴史。そこには科学の歴史、文化の歴史があり、その時代時代の世情が反映されていることがわかりました。

現在の私たちは、日本酒の幅広い香味が楽しめる、よい時代に遭遇しています。それを踏まえて、杉原学長より日本酒伝道師となるためにこんなメッセージが送られました。

日本酒の本質を極める
 (1) 米の酒、その多様性を知る
 (2) 技術の行き着く先に何が見えるか
日本酒を通じて、日本人の素晴らしさを知る
 (1) 究極の酒造りを求める探求心・執念 = 日本人の職人気質がある
 (2) 「自然を尊び」分かち合う日本人の気質の核に日本酒がある
日本酒のロマンが広がる
 (1) 酒蔵が酒を造り続け、我々が味わい・楽しみ・伝える
 (2) 世界酒への序奏

こんな点をときどきは考えながら、これからの日本酒を味わってほしいということでした。
お酒は何も考えずに飲んで美味しさを味わうもの。だが、日本酒伝道師としては、せめて最初の一杯目をきき酒しながら、ちょっと立ち止まって文化的視点で考えてみたいものです。


※ 注 ※
この記事は筆者が受講して、特に印象深かった点を中心に記述しています。実際の講座では、本記事にない色々なお話がなされています。また、ところどころ感想もまじえておりますので、ご了承ください。